あれ(仮)

公開用の遺書みたいな これまでの流れkyukyu.hatenablog.com ノスタルジィを感じたい人はこっちを読んでください

10の位が2になって

ブログ1年ぶりです。正確には9月頃書いてやっぱ違うなと思って消した記事とかあったのですが… まあそれも後で書くとして、じゃあ今までどうしていたのかというと、特に死んでいるわけでも鬼生きてるわけでもなく、普通に自分をやってた。一昨年自分が死んだという話があったけど、それから新たに自分が思考を構築するにあたり脳を数十%くらいしか動かさなくなり、考えることは単純で少なくシンプルになった。まあ最近多少増えてきたかな。私は思考のメモツールとして幾つかのデバイスを持っているのですが、オンラインのものでは、友達公開用のツイッターと、好きなもの用のツイッターと、ノーフォロワー鍵の闇アカウントと、これ。このブログは電子の海の中で深海に位置していて、総回覧数50以下というびっくりサイトで、本当この記事も一生誰にも見られない可能性あるのでは?っていう感じ、それでも一応見られる事を前提として書いている。だから、ツイッター闇アカウントでは思ったことを現在進行形で好き放題騒ぐ一方、このブログではある程度完結というか自分の中で納得できている思考を、ある程度の長さの文章で書く、ということをテーマにしています。進んでブログを教える気はないけど、知人に読みたいと言われてもまあ許せるかな、みたいな。ツイッターは絶対無理なんで。で、1年間ブログ=完結した思考のメモがなかったというのは、単純に忘れていたということもありつつ、大きな変化がなかったからですね。基本的な現状としては新天地での自分の再構築=デザイナーとしての自己クリエイター、をだんだん確立できてきたところ、という感じ。あんまり悩んだりしなくなった。そして、とにかく自分が今楽しいことをしようっていうのをより意識するようになった。ただほんとに、厄年こと2016年の位置づけや意味、あの時があるからこそ、みたいな語り口をできるようになったのは今年入ってから。まあなけりゃないでただ未来が違ったっていうだけだと思うんですけど。あんまり過去のこと思い出せなくなっちゃったけど、それなりに今楽しいから、周りに感謝するのだけは忘れず、好きなようにやりたい。

 

という中で、20になった日から、またおもしろいことの種たちを見つけたけれど、完結していないのでブログには書かない!

 

可愛くなりたいし、心が欲しいよね。

一年から一年たって二年たったこと

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初めてここに来たときの写真たち。今日今からBAなんて楽しみですねって言われたときすごく意表をつかれたけど、写真をみてこのときの気持ちを思い出した。ちょっと緊張してて全部が異質で憧れでどきどきして、寒いけど晴れた日差しと街の生演奏。

 

留学したのは今思い返せばというか当時すごく言いたくなかったけど普通に逃げとか先延ばしだった。得意な科目とかなかったしむしろ全部知りたくて、どうしようと思ってたとき芸術だ!って思った。自分のやってきたこと好きなこと興味のあること得意なこと全部芸術のくくりの中に入れられるような分野の広さ。そして、先生が美術院に留学した時にその手があったか!って思った。大学のパンフレット、分厚かったけどその中に自分の進路がある感じがしなくて、もっと自分らしいところに行きたかった。親も海外に行くことは勧めてくれてたから、海外に行くことはいい経験になるはずだって思えたし、英語が喋れて他の文化を知れて自分の好きなことできるなんてサイコー!と。まあそこから実際に留学するまでに紆余曲折はあったけど。やりたいことがありそうだなって思ったのは本当だったけど、とにかく逃げたかった。学校が嫌だった。1192作ろうなんて嘘だった。予備校とか日本の美術教育が嫌いだった。よくわかんなかった。家が嫌だった。好かれていないのに干渉だけはされて、差別されて、悲しくなった。英語喋れないくせに海外のことよく知らないくせに、たぶん海外行けばどうにかなると、どうにかなるっていうのは多分人並みに評価されるとかちゃんとした人になれるってことなんだけど、そう思った。 

 

でもそれは違った。自分が大好きな自分の日本の18年間は日本でできたものであって、海外に来てそれはなくなってしまった。まわりのせいにしていたけど、その環境こそが自分でおもしろいと思える自分を育てていた。海外に来て、ファインよりはデザインっぽい思考になった気がする。自分がなくなってしまったから。自分の中から取り出して表現するものは何もないから。しょうがないから外からどうにか作った。残ったのは怠惰だった。しかも意志もほとんど削がれてしまったので怠惰は悪化した。何もすることがないし何もしたくない。生きることは疲れるし大変だと、この間やっと気づいた。

 

1人で生きる、これが予想以上に大変なことだった。1人で生きようとして自分が死んだ。どうやっても余裕ができない。余裕がなくいい芸術がつくれない。鑑賞することはできても、それがまた何かの動力になることはなく、新しい明日を迎えるきっかけになる程度。素晴らしいことですが。意志がなくて息だけ続いているのは本当に辛い。体が動かない。

 

今の環境、自分の望んだもののはずだったし本当にありがたいと思う。でもあまりにも余裕がなくありがたいと思えないときが多い。どの道環境だけでは生きられないので、自分がそれに反応して自ら生きなければいけないのだ。文章が散らばってるなあ。

 

悲しい 辛い 

 

そこまで思っていながらこの先さらに孤独になる道を選んでしまった

 

ありがたいありがたい

 

本音を言うとわからない

 

綿あめを食べる

最近やっと気づいたんだけど、学校で出る課題みたいに人生の課題があって、わたしはゲームのキャラでもなんでもないのに次から次へとこなしていかなきゃいけないらしい。しかも厄介なのが一個終わったら本当にすぐ次がでてくること。びっくりした、人生ってこんな休まらないものなのか。めんどくさいものなのか。やめても終わるし休んでも終わるのでやるしかないっぽい。なんでだろう。

自由〜に行きたいけど難しいものです、しなくちゃいけないってあんまり言いたくないんだよ、やらされてる感あるのは自分の気持ちが詰まっていくし、かっこ悪いし、やっぱりやりたいことをやってますという風にしたい。でもなんだか噛み合わない。なんでだろう。

・準学位(できればぼちぼちの成績

・テストのスコア

・来年の進路

・学位

インターン

この辺今欲しいもの、のはずなんだけど、そもそもこの辺の動機が原因なんだな。学位とらないとなんかやばそう。職がないってやばそう。とりたい、とってどうしたいというより、いやいやとらなくちゃやばいだろが勝つっていうか。

全部意欲からスタートできたらいいのにーーーーー

 

3月の後半に娯楽とか精神的にずっと求めていたものをやりつくして全部なくなりました。この虚無感、幸せで全部持ってた頃の終盤から予測できていて、あーここから1人になるのやばいなと、多分また9月初めのようにビービー泣くなとそう思っていたのですが、結局泣くこともできないくらい虚無感やばい。そして娯楽への逃避。

 

なんかもっと書こうと思ったんだけど無理だった。もうやめるしかないのでわ???

頭の悪いことに慣れ、死んでもばれない

ブログを書くのが久しぶりになってしまった。だってネタがなかったんだもん。休日に本当に動かないようになってしまった。冬休みほんとに終わってる。一時期自分はおじさんの中の幻想だと思って生きてて、それが楽だった。今もそう思いたいんだけどそう思えないくらい肌と頭皮の荒れがすごい。まずいのでただの穀潰しだけど服を買います。ごめんなさい。

 

 

・生きててごめんなさい?

 

 

いや、まあもう死んでるんですけど笑 人と会話をしていないと本当にまずいなってことが最近わかった。ちょっとかなりやばい。誰にも言えないくらい最近の生活レベルが低下している。昼に小麦粉食べてまあ夜はそれなりにまともなもの食べてるんだけど、話してて恥ずかしい、このくらいにとどめておこう。こわいなあ、このまま終わるのは嫌だけど、終わってもほんとにバレない。最近本当に人と接していない。この、死んでもおそらく人にばれないという状況、結構貴重だと思うんですが。そうでもないんですかね。実際問題今日消えたとして気づかれるの学校始まって1週間くらいかな。

 

 

・じゃあもう消えてやりたいんですが。

 

 

最近わかったこともういっこ、思ったより親って自分に関心がない。この感じが通常レベルなのかどうなのかわからないしどうでもいいけど。このまま業務連絡案件がなければ誕生日祝われるかすら怪しいな。それはさすがにないかな。

 

 

・引き止めてほしくてここにいるのかもしれない。

 

 

言わば壮大な家出。いや自立してないんで普通にかっこわるいんですけど。動機が自分の成長の為とかいう曖昧な感じであと3年と半年ここにいていいのかな。

 

 

 

・寂しいときちんと涙がでる、安心する。

 

 

何に対して泣いてるのか、気持ちわるいってそれはもっともなんですけど涙がでるくらいには心がある。それだけ。

 

 

 

・帰りたい

 

 

 

でも結局帰ったところで何にもなんないんだと思う。

9月に書いていたブログ

去年のブログをみると本当に驚く、あーあの頃はまだ脳みそが働いていたなという感じ。今口を開けば死だもんね、それ以外のことに興味がない、やりたいことがないから終わりしか見えない。わたしは死にました。去年とかとしのはじめ2016年厄年だから死ぬってやたら言ってたの思い出した。ほんとに死んだのウケる笑 解脱したいとか言ってたのもウケる笑 関心というものがなくなり何にもなんとも思わなくなった。ウケる、すごい、やばい。

流れ

自分一人が辛いわけじゃない、好きでやってることだからいいじゃん、若いからなんでもできるし失敗しても次があるよ、人からもらう言葉、全部ほんとだと思う、ほんとだと思うけど辛いものは辛いしまた朝ピーピー泣いて、これほどまで人目を気にしないで翌日の目を気にしないで泣いたのは初めてかもしれないってくらい泣いて気が休まったと思ったら起きても誰もいない朝とか音のしない部屋とか知らない言葉とかを思ってまた泣いて、馬鹿だと思う、楽しめばいいんだと思う、そんなの分かってるけど悲しいし怖い。言語がわからないのも一人暮らしも何かを生み出すのもめちゃくちゃ辛いのを知ってたから帰国してから他の大抵のことはチョロくなった。怒られてもあたしは悪くなかったし新しい環境(バイト)もどうでもよかった。でもこの先の不安だけはずっと消えなかった。このまま楽に暮らせる筈はないしいつかこの家にも終わりが来るって分かってたから。なんども夜中に一人で泣いた。でも実際、18年間同じメンバーの家族と同じ地で暮らしてて、そんなの奇跡だって分かってるけどそれがいきなり無くなったら怖くない?母からは屈折した愛情みたいなのしか貰わなかったし、父は私達のこと考えてくれてるようで結構放置してる感じもあって、正直やだったこともあるけどでも両親は絶対何があってもわたしの唯一無二の両親だった。この歳まで恋をしなかったのがまずったと思う。未だに親以外イマイチ信用できる人がいないし壁を作ってしまう。ていうかほんと結構わりと全部まずったな!私は恵まれすぎていた、ただ立ってるだけで何もかもが手に入った、いや何もかもがっていうと嘘かもしれないけど立ってるだけじゃ手に入らないものをほしいと思わなかった。だからそろそろ努力っていうか、体を動かさないといけない。今ほんとにやりたいことが無いんですよ。強いてゆうならとか消去法でしか語れなくなってしまった。ほんとに、欲が無い。自分の絶対とかを取り去ったら、何かを欲しくなるかなって思ってるんだけど。今ほんとに比喩でなく死んでるのでちゃんと、食べたいものを自分で作って食べれるようになりたい。全部にありがとうを言える人間になりたい。
朝泣いてたら小1のとき学校行きたくなくて母と離れたくなくてピーピー泣いてたの思い出した。まじでなんも変わってねーな自分って思う。